埼玉で初夏の花々を:その2
- 2019/07/07
- 06:00
前回記事の続きです。
2019年6月8日土曜日
「そば処こぶし」でそれはそれは美味しい、ここ10年でもトップクラスに美味しいうどんを堪能。午後の部を開始する。
埼玉県道149号(加須菖蒲線)へ。

埼玉県道152号(加須幸手線)へ。この区間は国道125号旧々道。


国道125号へ。

「浮野の里(南)交差点」から市道や農免道路へ。あ、とうとう雨が降って来やがったぜ・・・。テンション下がるなあ・・・。

案内に従って・・・。


「浮野の里」の駐車場へ。トイレもちゃんとある。ありがたい。

雨がポツポツ降る中、傘を差して・・・。お、いい感じの水辺風景じゃないか・・・!

「今からおよそ2万年前、最終氷河期に東京湾の海水面が130mも下がり、東京湾の海水がなくなり広い海岸平野になった。 そこに、陸を流れていた利根川、荒川、その東側を渡良瀬川、思川が流れるようになり、川の流れたところは峡谷、残された部分は台地として残った。 加須もその頃は、大宮から館林につながる台地の上にあり、この台地も長い間には川によって浸食されて、丘あり谷ありの変化にとんだ地形となった。 最終氷河期が終わり、再び気候が温暖化し、海水面も上昇し現在の海水面より1~2m高くなり、関東平野の奥くまで海水が浸入してきた。 この時代にできた湾を「奥東京湾」と呼び、縄文時代の前期約5000年前で、その波打ち際が「浮野」の地下と考えられる。波によって削られできた岸、谷に海の堆積物が堆積した。 さらに、弥生時代、古墳時代にかけて加須とその近辺が沈み始めた(関東造盆地運動)。 そこに、西側を流れていた利根川、荒川が侵入し、川の堆積物が体積して、現在に至っている。 地下の古い地層から地下水が湧き出し、「浮野」に低温と湿り気を与えていると考えられる。」(浮野の里HPより引用)

「昔から、アサマヤ(アサマ:昔の所有者の屋号、ヤ:原野の意味)と呼ばれ、長老からはアサマヤはウキヤだ、とも聞かされた。 明治43年8月の洪水、昭和22年9月のカスリン台風による洪水のときも、周囲は水をかぶり、水没したにもかかわらずこの「浮野」の一部は浮上した。洪水のときに浮く原野という意味もある。。」(浮野の里HPより引用)

「うきや橋」へ。

いい感じの水路。


洪水になると浮上するのか。ホントかよ。俄かに信じ難いが、たしかに沼沢地に浮かぶ島のような場所だ。

縦横に水路が整備されている。

周辺は水田地帯だが、付近には東北自動車道・加須ICがあり、工業団地もある。そんな中にこんな水郷風景が残されているとは・・・。奇跡的だ。

これらの水路は「田堀」と呼ばれるらしい。

「田舟」が係留されていた。

低湿地の水田が広がっていた時代は、交通手段や運搬手段をして使用された。現在は観光船として使用されている。これを撮影したのは6月8日。翌日、つまり9日から始まる「浮野の里・あやめ祭り」では女船頭による田舟遊覧が行われる。9日は仕事なので8日に来ざるを得なかったが、出来れば田舟遊覧を見たかった・・・!

水害から田を守るための土手。クヌギ並木が整備されている。これらの木々は堤防の補強や薪材として利用された。

天明年間の浅間山噴火による土石流は関東平野利根川水系の河川に流れ込み、河床上昇を招き洪水を頻発させた。幕府時代では遂に浚渫作業を完了出来ず、明治期まで作業は続いたという。除去した堆積物は利根川だけでもパナマ運河工事の浚渫量を超えたと言われる。

周辺にヨシ原が広がる。かつてヨシは茅葺屋根の材料などに利用された。現在、冬にヨシ焼きが行われている。


「花菖蒲園」へ。

灌漑用水車。人力で動かす。「あやめ祭り」では実演も行われる。撮りたい・・・!


ハナショウブが咲いているはずだが・・・。

そう。こんな光景を期待していた訳です。

あまり咲いていない。きれいはきれいだけど・・・。

花菖蒲園はどこも大変らしい。ちゃんと咲かせるのはかなり苦労があるようだ。

とはいえ、自分にとっては大好きな水郷風景。いい雰囲気だ。


何だかトム・ソーヤが釣りをしていそうな雰囲気。



いつの間にか雨は止んだ。しかし遠く雷鳴が聞こえる・・・。天気は良くないが、これもまた梅雨時らしくていいではないか。

と思ったら、急に晴れて来た・・・!

10分ほどで青空が広がった。何だこの天気は。

晴れると夏の陽射しになるわけですよ。

暑い。真夏日のように暑い。ただでさえ蒸し暑かったが、おそらく30度は超えただろう。

太陽が出たので花が鮮やかになる。











思ったより本数は少なかったけど、きれいはきれい。


暑い。木陰に避難する。


この雰囲気、大好きです。初めて来たが、気に入りました。




来年は是非とも田舟遊覧を見てみたい。

こんな関東平野の真ん中みたいな場所で、こんな風景を見られるとは思わなかった。




また来よう。素晴らしい場所です。

晴れたなあ。良かったなあ。と思ったが、この後すぐ曇天に戻った。変な天気だ。

近くにアジサイの小道があった。

とてもきれいで、妻も自分もけっこう盛り上がる。








で、この後は群馬県に戻り館林市で行われている「たてばやし花菖蒲まつり」へ行って、それで高崎に帰る計画だった。しかし予備情報として自分が「桜の時期に行った権現堂公園はけっこう近いよ。あそこはアジサイも有名なんだよ」と言ったら、妻が「じゃ、そっちに行こう!」と言い出した。妻が元気に意見を言うので尊重しなくてはならない。急遽予定変更。幸手市の権現堂公園へ向かう。

国道125号へ。

陸上自衛隊・東部方面通信群本部中隊(朝霞駐屯地)の1/2tトラックと出会う。

「古門樋橋」。中川(利根川水系・利根川派川)を渡る。加須市から久喜市へ。

「食堂カーちゃん」。久喜市の名店。いろいろ美味しいお店。またいつか寄りたいねえ。

埼玉県道3号(さいたま栗橋線)へ。

「門樋橋」。再び中川を渡る。


埼玉県道152号(加須幸手線)へ。


幸手市へ。


国道4号交点へ。「権現堂公園」へ。

人は多いが、桜の時期ほどではない。また晴れて来たぞ。

(つづく)

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2019年6月8日土曜日
「そば処こぶし」でそれはそれは美味しい、ここ10年でもトップクラスに美味しいうどんを堪能。午後の部を開始する。
埼玉県道149号(加須菖蒲線)へ。

埼玉県道152号(加須幸手線)へ。この区間は国道125号旧々道。


国道125号へ。

「浮野の里(南)交差点」から市道や農免道路へ。あ、とうとう雨が降って来やがったぜ・・・。テンション下がるなあ・・・。

案内に従って・・・。


「浮野の里」の駐車場へ。トイレもちゃんとある。ありがたい。

雨がポツポツ降る中、傘を差して・・・。お、いい感じの水辺風景じゃないか・・・!

「今からおよそ2万年前、最終氷河期に東京湾の海水面が130mも下がり、東京湾の海水がなくなり広い海岸平野になった。 そこに、陸を流れていた利根川、荒川、その東側を渡良瀬川、思川が流れるようになり、川の流れたところは峡谷、残された部分は台地として残った。 加須もその頃は、大宮から館林につながる台地の上にあり、この台地も長い間には川によって浸食されて、丘あり谷ありの変化にとんだ地形となった。 最終氷河期が終わり、再び気候が温暖化し、海水面も上昇し現在の海水面より1~2m高くなり、関東平野の奥くまで海水が浸入してきた。 この時代にできた湾を「奥東京湾」と呼び、縄文時代の前期約5000年前で、その波打ち際が「浮野」の地下と考えられる。波によって削られできた岸、谷に海の堆積物が堆積した。 さらに、弥生時代、古墳時代にかけて加須とその近辺が沈み始めた(関東造盆地運動)。 そこに、西側を流れていた利根川、荒川が侵入し、川の堆積物が体積して、現在に至っている。 地下の古い地層から地下水が湧き出し、「浮野」に低温と湿り気を与えていると考えられる。」(浮野の里HPより引用)

「昔から、アサマヤ(アサマ:昔の所有者の屋号、ヤ:原野の意味)と呼ばれ、長老からはアサマヤはウキヤだ、とも聞かされた。 明治43年8月の洪水、昭和22年9月のカスリン台風による洪水のときも、周囲は水をかぶり、水没したにもかかわらずこの「浮野」の一部は浮上した。洪水のときに浮く原野という意味もある。。」(浮野の里HPより引用)

「うきや橋」へ。

いい感じの水路。


洪水になると浮上するのか。ホントかよ。俄かに信じ難いが、たしかに沼沢地に浮かぶ島のような場所だ。

縦横に水路が整備されている。

周辺は水田地帯だが、付近には東北自動車道・加須ICがあり、工業団地もある。そんな中にこんな水郷風景が残されているとは・・・。奇跡的だ。

これらの水路は「田堀」と呼ばれるらしい。

「田舟」が係留されていた。

低湿地の水田が広がっていた時代は、交通手段や運搬手段をして使用された。現在は観光船として使用されている。これを撮影したのは6月8日。翌日、つまり9日から始まる「浮野の里・あやめ祭り」では女船頭による田舟遊覧が行われる。9日は仕事なので8日に来ざるを得なかったが、出来れば田舟遊覧を見たかった・・・!

水害から田を守るための土手。クヌギ並木が整備されている。これらの木々は堤防の補強や薪材として利用された。

天明年間の浅間山噴火による土石流は関東平野利根川水系の河川に流れ込み、河床上昇を招き洪水を頻発させた。幕府時代では遂に浚渫作業を完了出来ず、明治期まで作業は続いたという。除去した堆積物は利根川だけでもパナマ運河工事の浚渫量を超えたと言われる。

周辺にヨシ原が広がる。かつてヨシは茅葺屋根の材料などに利用された。現在、冬にヨシ焼きが行われている。


「花菖蒲園」へ。

灌漑用水車。人力で動かす。「あやめ祭り」では実演も行われる。撮りたい・・・!


ハナショウブが咲いているはずだが・・・。

そう。こんな光景を期待していた訳です。

あまり咲いていない。きれいはきれいだけど・・・。

花菖蒲園はどこも大変らしい。ちゃんと咲かせるのはかなり苦労があるようだ。

とはいえ、自分にとっては大好きな水郷風景。いい雰囲気だ。


何だかトム・ソーヤが釣りをしていそうな雰囲気。



いつの間にか雨は止んだ。しかし遠く雷鳴が聞こえる・・・。天気は良くないが、これもまた梅雨時らしくていいではないか。

と思ったら、急に晴れて来た・・・!

10分ほどで青空が広がった。何だこの天気は。

晴れると夏の陽射しになるわけですよ。

暑い。真夏日のように暑い。ただでさえ蒸し暑かったが、おそらく30度は超えただろう。

太陽が出たので花が鮮やかになる。











思ったより本数は少なかったけど、きれいはきれい。


暑い。木陰に避難する。


この雰囲気、大好きです。初めて来たが、気に入りました。




来年は是非とも田舟遊覧を見てみたい。

こんな関東平野の真ん中みたいな場所で、こんな風景を見られるとは思わなかった。




また来よう。素晴らしい場所です。

晴れたなあ。良かったなあ。と思ったが、この後すぐ曇天に戻った。変な天気だ。

近くにアジサイの小道があった。

とてもきれいで、妻も自分もけっこう盛り上がる。








で、この後は群馬県に戻り館林市で行われている「たてばやし花菖蒲まつり」へ行って、それで高崎に帰る計画だった。しかし予備情報として自分が「桜の時期に行った権現堂公園はけっこう近いよ。あそこはアジサイも有名なんだよ」と言ったら、妻が「じゃ、そっちに行こう!」と言い出した。妻が元気に意見を言うので尊重しなくてはならない。急遽予定変更。幸手市の権現堂公園へ向かう。

国道125号へ。

陸上自衛隊・東部方面通信群本部中隊(朝霞駐屯地)の1/2tトラックと出会う。

「古門樋橋」。中川(利根川水系・利根川派川)を渡る。加須市から久喜市へ。

「食堂カーちゃん」。久喜市の名店。いろいろ美味しいお店。またいつか寄りたいねえ。

埼玉県道3号(さいたま栗橋線)へ。

「門樋橋」。再び中川を渡る。


埼玉県道152号(加須幸手線)へ。


幸手市へ。


国道4号交点へ。「権現堂公園」へ。

人は多いが、桜の時期ほどではない。また晴れて来たぞ。

(つづく)
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