平成の終わりに
- 2019/04/30
- 23:00
29日から30日にかけては夜勤。勤務日誌を見ると5月1日の欄に付箋紙が貼られていた。今まで「平成」と書いていたので、「令和」への変更を間違えずに、と上司が貼ったものだ。
30日。「今日で平成は終わりか」と改めて感慨を新たにする。
昭和天皇が崩御された昭和64年1月7日、自分は高校2年生の冬休みを送っていた。前年から昭和天皇の容体は悪化し、世間は自粛ムード一色。容体に関するニュース速報が頻繁にテレビで流れていた。
翌1月8日から始まった「平成」。最初は違和感がどうしようもなかった。当時は身の回りに明治・大正生まれの人も多く、自分は昭和生まれ。それらの元号に比べると「平成」はどうしても軽い感じが否めなかった。
当時我が家はバブル景気の影響を顕著に受けていた。父(平成24年他界)の職業がバブル景気で猛烈に儲かっていたからだ。仕事から帰ると毎日のように「億単位の商談」の話をしており、頻繁に接待宴会。週に何度も高級寿司の折り詰めを買って来ていた。「父さん、お寿司もう飽きたよ」と今では信じられないような言葉を言っていたのが懐かしい。
一方で高校卒業後の進路も重要課題で、大学進学を望む両親の気持ちとは裏腹に、自分は自衛隊入隊を密かに考え始めていた。両親と何度も衝突しつつ、自衛官の道を決意し、秋には海上自衛隊一般海曹候補学生の入隊試験に合格。両親もついに諦めた。
平成2年春。当時18歳の自分は初めて親元から離れた。そしてこれまで暮らして来た群馬県高崎市を離れ横須賀へ。親元で甘やかされて育ってきた自分にとっては、自衛官としての生活は驚きの連続だった。
平成元年12月の冷戦終結宣言。これで世界は平和になる、と真面目に思った。自衛隊の存在意義は失われたとさえ、思われた。そんな状況下で自衛官としての生活が始まったのだ。
そんな中で平成2年8月から湾岸危機が始まった。衝撃的だった。世界は平和になる、というのは幻想だった。毎週横須賀で行われた左翼団体のデモ。制服外出が禁止された。91年のペルシャ湾掃海部隊派遣、92年のカンボジア派遣。自分は派遣される事は無かったが、その現場を間近で見た。
その一方で平成4年は海上自衛隊創設40周年記念観艦式が行われ、平成6年には防衛庁創設40周年記念観艦式が行われた。そのいずれにも参加し、海上自衛隊の大きな節目を隊員として体験する事が出来た。
平成7年1月。兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)が発生した。衝撃的だった。自分も災害派遣され、神戸へ。本当に衝撃的だった。
その直後の2月、約5年間勤務した海上自衛隊を思いあって退職。本当は定年まで勤務すべきだったかもしれないが、若い自分はそうは思わなかった。自分の人生の迷走(?)が始まる。
箇条書き的に書く。
平成7年3月、地下鉄サリン事件。前日に千代田線に乗っていたので本当に衝撃的だった。
その後約1年間、東京で会社員として働く。そして平成8年2月、両親の勧めもあって高崎へ帰る。
いろいろあったが会社員として働き、平成9年1月、妻と知り合う。約半年間の新潟市での勤務もあった。
平成11年12月、結婚。新たな生活が始まる。
平成13年2月、米国同時多発テロ事件。この世の終わりのような衝撃を受ける。
平成14年8月、初めて猫を飼う。この愛猫「ポン」は自分と妻にとってかけがえのない存在となる。
平成16年秋、米空軍サンダーバーズ日本ツアーで辛酸を舐める。この反動で自衛隊イベントにのめり込む事になる。その直後に新潟県中越地震発生。高崎も大いに揺れた。初めて大きな地震を体験する。衝撃的だった。
平成17年、これまでの趣味であったプラモデルを辞め、自衛隊イベントめぐりに徹底的にのめり込む。
平成18年3月、ブログを始める。まさか現在まで続くとは・・・。
平成20年末。リーマンショック。我が家も大きな影響を受ける。
平成21年10月、三沢基地でサンダーバーズを見る。自分の自衛隊イベントめぐりは大きな節目を迎える。
平成23年3月、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生。高崎も準被災地となる。
平成24年8月、父の癌が判明。すでに末期だった。11月に死去。
平成25年秋。10年ちょっと続けて来た自衛隊イベントめぐりを辞める。
平成26年2月、平成26年豪雪発生。生活に支障が出るレベルの雪は衝撃的だった。
平成27年9月、東北旅行へ。東日本大震災の被災地を探訪する。
平成28年、河川めぐりにのめり込む。
平成29年11月、平成14年以来我が家の一員だった愛猫「ポン」が死去。
平成30年6月、常磐旅行へ。駆け足だったが、かなり濃厚な被災地めぐりを行う。
同年8月、再び常磐旅行へ。6月の旅の補完的な意味を持つ旅行だった。
そして平成31年。平成が終わり、令和が始まる。
いろいろ言いたい事はあるが、今年は結婚して20年。ただひたすら、妻に感謝である。

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30日。「今日で平成は終わりか」と改めて感慨を新たにする。
昭和天皇が崩御された昭和64年1月7日、自分は高校2年生の冬休みを送っていた。前年から昭和天皇の容体は悪化し、世間は自粛ムード一色。容体に関するニュース速報が頻繁にテレビで流れていた。
翌1月8日から始まった「平成」。最初は違和感がどうしようもなかった。当時は身の回りに明治・大正生まれの人も多く、自分は昭和生まれ。それらの元号に比べると「平成」はどうしても軽い感じが否めなかった。
当時我が家はバブル景気の影響を顕著に受けていた。父(平成24年他界)の職業がバブル景気で猛烈に儲かっていたからだ。仕事から帰ると毎日のように「億単位の商談」の話をしており、頻繁に接待宴会。週に何度も高級寿司の折り詰めを買って来ていた。「父さん、お寿司もう飽きたよ」と今では信じられないような言葉を言っていたのが懐かしい。
一方で高校卒業後の進路も重要課題で、大学進学を望む両親の気持ちとは裏腹に、自分は自衛隊入隊を密かに考え始めていた。両親と何度も衝突しつつ、自衛官の道を決意し、秋には海上自衛隊一般海曹候補学生の入隊試験に合格。両親もついに諦めた。
平成2年春。当時18歳の自分は初めて親元から離れた。そしてこれまで暮らして来た群馬県高崎市を離れ横須賀へ。親元で甘やかされて育ってきた自分にとっては、自衛官としての生活は驚きの連続だった。
平成元年12月の冷戦終結宣言。これで世界は平和になる、と真面目に思った。自衛隊の存在意義は失われたとさえ、思われた。そんな状況下で自衛官としての生活が始まったのだ。
そんな中で平成2年8月から湾岸危機が始まった。衝撃的だった。世界は平和になる、というのは幻想だった。毎週横須賀で行われた左翼団体のデモ。制服外出が禁止された。91年のペルシャ湾掃海部隊派遣、92年のカンボジア派遣。自分は派遣される事は無かったが、その現場を間近で見た。
その一方で平成4年は海上自衛隊創設40周年記念観艦式が行われ、平成6年には防衛庁創設40周年記念観艦式が行われた。そのいずれにも参加し、海上自衛隊の大きな節目を隊員として体験する事が出来た。
平成7年1月。兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)が発生した。衝撃的だった。自分も災害派遣され、神戸へ。本当に衝撃的だった。
その直後の2月、約5年間勤務した海上自衛隊を思いあって退職。本当は定年まで勤務すべきだったかもしれないが、若い自分はそうは思わなかった。自分の人生の迷走(?)が始まる。
箇条書き的に書く。
平成7年3月、地下鉄サリン事件。前日に千代田線に乗っていたので本当に衝撃的だった。
その後約1年間、東京で会社員として働く。そして平成8年2月、両親の勧めもあって高崎へ帰る。
いろいろあったが会社員として働き、平成9年1月、妻と知り合う。約半年間の新潟市での勤務もあった。
平成11年12月、結婚。新たな生活が始まる。
平成13年2月、米国同時多発テロ事件。この世の終わりのような衝撃を受ける。
平成14年8月、初めて猫を飼う。この愛猫「ポン」は自分と妻にとってかけがえのない存在となる。
平成16年秋、米空軍サンダーバーズ日本ツアーで辛酸を舐める。この反動で自衛隊イベントにのめり込む事になる。その直後に新潟県中越地震発生。高崎も大いに揺れた。初めて大きな地震を体験する。衝撃的だった。
平成17年、これまでの趣味であったプラモデルを辞め、自衛隊イベントめぐりに徹底的にのめり込む。
平成18年3月、ブログを始める。まさか現在まで続くとは・・・。
平成20年末。リーマンショック。我が家も大きな影響を受ける。
平成21年10月、三沢基地でサンダーバーズを見る。自分の自衛隊イベントめぐりは大きな節目を迎える。
平成23年3月、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生。高崎も準被災地となる。
平成24年8月、父の癌が判明。すでに末期だった。11月に死去。
平成25年秋。10年ちょっと続けて来た自衛隊イベントめぐりを辞める。
平成26年2月、平成26年豪雪発生。生活に支障が出るレベルの雪は衝撃的だった。
平成27年9月、東北旅行へ。東日本大震災の被災地を探訪する。
平成28年、河川めぐりにのめり込む。
平成29年11月、平成14年以来我が家の一員だった愛猫「ポン」が死去。
平成30年6月、常磐旅行へ。駆け足だったが、かなり濃厚な被災地めぐりを行う。
同年8月、再び常磐旅行へ。6月の旅の補完的な意味を持つ旅行だった。
そして平成31年。平成が終わり、令和が始まる。
いろいろ言いたい事はあるが、今年は結婚して20年。ただひたすら、妻に感謝である。
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